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参加費

大島観光研修プログラム

サポーターの声

 大島に生まれ育ち、都立大学を出て看護師・保健師の資格を取得後、都内の大学病院で看護師として働きました。 「健康」とはなんだろう、「生活」とは職場との往復をする毎日のことだろうかと疑問に思う日々を過ごしていた時、 本当に健康に必要なもの・命に必要なものは「塩」だということが腑に落ち、大島へ帰って参りました。

 小学校へ入学以来、社会で当たり前とされるレールに乗ってきた私は、そのレールから外れ、何の立場も肩書もない状態に一種の不安を感じました。 しかしそれは、000プレナムさんとの個人的な出合いから自然な流れで始まった日常の現場を活かした人材育成研修を通して、 自らも知らなかった可能性を認め活かし合える方達と出合い、生きた学びによって育まれていくうち、いつしか消えていました。 それどころか、当時では全く想像もしていなかったような質の豊かさと、安心感を観じる日々を過ごさせていただいています。

 現在、塩つくり師の二代目になることを決心し、さらに、地域・全国のたくさんの方々から応援・サポートをいただいて、 地域起こしの息吹になることを純粋に願った企画の主催などを、自らの成長と共にさせていただいています。 また、看護師・保健師として地域と繋がれることや、一人の母としての時間も大切に思っています。

 000プレナムさんとの出合いや心からの交流によって起きたイノベーションは、私の個人的な人生のみならず、地域へも波及し、 そこから生まれた事業は、大島全体の活力になり始めていることを実感しています。それは、前例のない新たな動きに協力して下さっている方が いてこそ成り立つことでもあり、全てに感謝しています。その流れの中で出合う国内外の心豊かな方々との交流は、本当にうれしいひと時です。

 大島研修プログラムを受ける皆さんとの出合いや交流から、どのような学びと展開が生まれるのか、楽しみにお待ちしております。

 伊豆大島でマクロビオティックを取り入れた食環境の下、生まれ育ちました。食事に興味を持っていたので栄養士を目指し、 親元から離れ東京へ出ました。当時の私は、東京への憧れが強く、自立とは一人暮らしをし、就職することだと信じきっていましたので、 栄養士としてがむしゃらに働いている自分を誇りに思っていました。一方で、なぜか心にぽっかり穴が開いているような感覚が常にありました。

 そんな中、体調を崩し大島にUターンしました。小学校→中学校→高校→専門学校→就職→結婚と一般的なレールの上に自分も立ち、 生涯その様に過ごすのだろうと漠然と思っていた私にとって、それは大きな転機で、不安だらけでした。でも、草刈りや、種植え、 芽吹きなどを通した大島の大地とのコミュニケーションは一時的なストレス解消では埋まらなかった心からの安らぎと癒しを与えてくれました。

 また、 企画•デザイン•研修•コンサルティング事業などを行う000プレナムさんの日常の現場を活かした人材育成事業から学ぶ中で、 わたしの人生にもイノベーションが起こり、管理栄養士の資格も取得し、マクロビオティックを基調とした添加物・保存料を使わないお菓子の製造販売や、 地域起こしのきっかけとなるイベントを主催する新規事業などを家族と共に、起ち上げるようになりました。

 UNIVER-CITY OHSHIMAという地域と日本全国と世界を繋ぐ活動では、ローカルだけだと思っていた世界が、いつしかグローバルへと繋がっているようです。 自分はここまでだと諦めていた可能性も、実は際限無く広がり、深まっていくことを今は認識しています。

 この新規事業を通じての自然な関わりの中で、伊豆大島を大好きな方とご縁があり、結婚することになりました。 二人で始まろうとしている大島での生活は、豊かで、新しいけど懐かしく、毎日がエデュケーションと共にあります。 これから生まれてくるであろう、子どもをこの環境で育てながら、自身もさらに成長していきたいと思っています。

 OHSHIMA♡ハート•オブ•イノベーションプログラムに参加されるまだ出会っていない方々とも、どの様な展開が生まれてくるのか今からとても楽しみです!

 島で働くサラリーマンとして、生活には何一つ不自由はありませんでしたが、会社と社宅を往来するだけの平坦な日々に違和感を感じ始めていました。

 そんなある日、ご縁あって阪本洋未さんが代表、阪本夏未さんが副代表をされているUNIVER-CITY OHSHIMA(UC O)さんが 主催するイベントにボランティアとして参加させていただき、UCOさんの活動を通じて様々な仕事や価値観を持っている人々と交流する機会に恵まれました。

 そうした方々から直に聞くお話はどれも豊かで興味深く、交流を続けているうちに自分自身が本来持ち合わせていた生命力が沸き立つような感覚を抱きました。 そして、いつとはなしに自身の価値観にも変化が生じ、自分自身に新たな可能性を見いだすことが出来るようになりました。

 個性溢れる、真の意味で豊かな生き方を実践している人々との出会いに心から感謝しています。大島にお越しの際は、島に漲る、力強いエネルギーを肌で、 心で感じてください。

 大島♡ハート•オブ•イノベーション プログラムに、おいでくださいましてありがとうございます。

 1976年、自然海塩の復活を目指して塩づくりを決意したパートナーと共に大島に移り住みました。 お腹には6か月目の長女がいましたが、米、塩、水があれば生きていける…。玄米菜食を基本に、豊かな大島の自然の恵みに助けられてきました。 おかげさまで5人の子宝に恵まれ、全員元気に育ち、現在孫が11人います。

 1986年、三原山が大噴火を起こし、一カ月余りの全島民避難となりましたが、この出来事がきっかけで、生かされているありがたさを心から実感し、 私の中で「地球」を意識し始めました。今では平穏無事に塩づくりができることの幸せをかみしめ、三原山を見上げては感謝する毎日です。

 大島の自然が好きで、地域の皆さんと共に、より皆で暮らしやすい大島にしたいと思い、「和の里」としても様々な取り組みをしています。 大島の風土や文化にも興味があり、「伊豆大島ジオパーク研究会」「NPO住みよい大島を創る会」「アンコ文化保存会」等で学ばせていただいています。

 例えば、「和の里」では、小さな単位で出来る、画期的な方法による醤油づくりをしています。 3年前からは「醤油麹」からの手づくりもしていますが、麹菌たちの静かで着実な働きには本当に感嘆させられます。 「菌」達から、私達はどれだけ恩恵を被っているのか計り知れません。

 一粒の穀物の種が万倍にも実り、豊かな恵みを惜しみなく与えてくれる樣を「一粒万倍」といいます。一粒の種のように、 私もひとりの人間として生かされていることへの万倍の恩返しをしたいと常々思っています。全てを包み込むような穀物の生き様の凄さを感じています。 わたしたち人間もそのように生きることができたら、生かされている感謝の心からは対立や争いではなく許しあいが生まれるだろうと思えてなりません。

 日々の生活を通して、年齢に関係なく、お互いをひとりの人間として尊重し、相互コミュニケーションを図ることの重要さを学んでいます。 また、食の不思議さ、自然治癒力や自然療法の素晴らしさを体験し、安易に薬に頼ることなく、生活を見直すことの大切さも知りました。

 知らず知らずのうちに、仕事と遊びと学びが同時に織りなされていたともいえる生活の中で、学べば学ぶほど、世界は豊かに広がっていくように感じています。
 
どのような学びの展開となるのか、ワクワクした気持ちでお待ちしております。

 20歳の時身体を壊し、鍼灸の学校に通いながら、マクロビオティック・東洋医学・野口整体などを学び、現代医学や栄養学の盲点に気付きました。 人間の身体の不思議さを知れば知るほどいのちの基本である ≪米・塩・水≫ の大切さを実感しております。

 1976年、生産が禁止されていた自然塩復活のため動きはじめた 故・谷克彦氏と共に伊豆大島へ渡り以来40年、自然海塩作り一筋に情熱を傾けてまいりました。 たくさん使うものではないけれど、かならず使う大切な≪塩≫。この≪塩≫をご≪縁≫に、元気で明るい社会づくりに貢献したいと願っています。

 大島での塩づくりの現代開拓史を、地域資源として、人生と社会のイノベーションのための研修コンテンツに活かしたいという、 000 プレナムさんとの相互協力により、社名変更を含め、世界に向けての数々の変化が起きています。基本は、あくまで地道に、家族が力を出し合って、 足元から、無心に、工夫を重ねながら、手作業で築き、培っていくことだと思っています。

 様々な製塩装置も自宅も、自分たちで時間をかけ、汗を流して立ち上げてきました。大地と海と風と太陽の働きに感謝しながら、 身の回りにある資材を活用し、知恵をしぼりながら取り組んでいます。何かの参考になるようでしたら、ありがたく思います。

 000 プレナムさんにより、大島での塩づくり史をテーマに、お子さん向けと、全世代向けのイラスト付きの日本語と英語の2カ国語併用のオリジナル絵本もできました。

 言葉は尽くせませんが、皆様との出合いを楽しみにしています。

[略歴]
1974.8  沖縄での塩作りワークキャンプに全期間(40日間)参加し、塩の大切さと、塩作りの楽しさに触れる
1976.11  故・谷克彦氏と塩を作るため、二家族で大島へ移住
1976-89 タワー式製塩装置をつくる
      タワー式製塩法からネット式製塩法を考案し、塩の大幅増産に成功する
      日本初完全天日塩を温室を使うことにより完成
1984.4  自然塩流通本部(株)の設立に関わる
1996.5  同社を退社
1997.3  ミクロネシア政府より招かれて塩田を作ることができるか視察する
1998.7  (有)阪本海塩研究所設立
      ドーム式温室装置に噴霧式を利用し製塩
2012.8  (有)阪本海塩研究所がOHSHIMA OCEAN SALT(有)と社名変更する